2008-09-27(Sat)
プチアスリート日記
30歳からダイエットのつもりで始めたジョギングが 気が付くとウルトラマラソンやトライアスロンへと 進化してしまったプチアスリートの軌跡をご覧下さい。
2008-09-10(Wed)
スクワット1000回
北海道マラソンが終わってから、
なかなか練習にも身が入らずあれから1回しか走ってません。
その代わりといってはなんですが、
道マラで痛感した練習不足や筋力不足を補うため
当面は筋トレ強化をしていきたいと思います。
(前にも聞いたような…)
そんなわけで早速、日曜日に腹筋・腕立てなどの基本の一つ。
スクワットを1000回やりました。
道マラの前から弱っている左足のスクワットは
地味にやっていたのですが、道マラを走ってみて
左右のバランス差はフルマラソン程度なら
そんなに大きく影響しないだろう。
という仮説に基づき、
片足スクワットなんて面倒なことは止めて
普通にスクワットすることにしました。
しかし…
最近は100回ずつだったのにいきなり1000回は効きますね。
日曜日にやったのに今日も少し筋肉痛が残ってます。
たぶん500回くらいならこんなに残らないのに
さすがに1000回は効きました。
500回くらいから汗がポタポタ、
700回くらいからは汗がダラダラ流れる感じで
最終的には床が汗の海になってました。
小学生の私は毎日のように500回やっていた
ということを考えると恐ろしい子供だったんだなと思います。
いずれにしてもこれを週1くらいでやっていれば、
とりあえず10月くらいにはいい感じになるかな。
ちなみに昨日は久々にプールに行ってきました。
やっぱり腕の状態はよくないのでまだまだ遠泳は出来ませんね。
途中で左腕がしびれてきて水をほとんどつかめなくなりました。
色んな意味でまだまだ修行が必要のようです。
昨日のスイム 700m
2008-09-05(Fri)
再びあの感動を〜2008北海道マラソンレポート後半〜
15キロ地点を意外にもあっさり通過した私は少し首をかしげた。
昨年、同じ場所では熱中症から意識がもうろうとし、
一条大橋のちょっとした登りが登山のように思えていたからだ。
「何故か今年は冷静なんですけど…」
そう思いながらもとにかく前に進むしかなかった。
沿道には人の波が切れず、
とてもこんなところでリタイア出来る状況ではない。
そんなことを考える余裕もなく気がつくと20キロ地点を通過した。
20キロの通過タイムは、1時間47分28秒。
この辺は私が昔住んでいた場所でもあるので、
なんとなく若き日の苦労した生活臭が漂う。
そんな感慨にふけっている頃、順調に中間点を通過。
中間点の通過タイムは、1時間53分25秒。
この時点で約9分の貯金が出来た。
私はさらに首をかしげながらも新川通から琴似栄町通へ入った。
この時点で既に男子のトップ選手とはすれ違っていたが、
女子の先頭を追う中継車が見えた。
事前の下馬評では新谷仁美選手が突っ走るのでは…
という雰囲気だったが、現れたのは小学生みたいな小さい女の子(失礼)
「この子一体何歳なの?」と聞きたくなるほどロリータっぽい選手だった。
そんなプチニュースも過ぎ去り、私は25キロまで来てしまった。
25キロの通過タイムは、2時間14分21秒。
「いったいいつどこで俺の足は壊れるんだ?」
という答えようのないボケツッコミを一人で言いながらも
私の足は衰えを知らなかった。
予定外に25キロ時点も通過したことで、
私のスタミナは切れそうになっていた。
2時間以上も水分とサプリだけで走っていれば
誰でもスタミナ切れになるはずだ。
そう思いながらも一瞬発寒に入る追分通りの橋を戻る時
「おーい、プチアス!」
と言う聞いたことのある声がした。
私がよく飲みにいくお店の常連客のKさんだった。
そしてKさんは全く関係ないチームの私にバナナを恵んでくれた。
明らかにスタミナ切れ寸前の私にとってこのバナナ半分は
砂漠のオアシスに思えた。
後から思うとこのバナナは最後まで走るスタミナ源だったのかもしれない。
そんな最後のスタミナ源をもらった私はついに30キロを通過した。
30キロの通過タイムは、2時間42分35秒。
昨年のこの大会で私は30キロを過ぎた途端、
太ももがつってしまい足が止まった。
しかし今年はまだ足はつらなかったものの意識はもうろうとしていた。
そんな時、最後の給水を終えた
ボランティアの学生達が、ハイタッチをしてくれた。
最初は数人のことだったが、私が気分良くタッチしていたからか
その後ろに並ぶみんながハイタッチをしていた。
人数にして50人くらいは居ただろうか。
このハイタッチにもかなりの勇気をもらったが、
実はこの頃、意識がもうろうとし始めていた。
35キロの通過タイムは、3時間12分23秒。
35キロの通過タイムを見ると既にペースは落ち始めていた。
実を言うとこの辺りの記憶が定かではない。
熱中症の症状からか意識障害も出始めていたのだろうか。
35キロを過ぎると沿道の人並みが途切れてくる、
と言う噂を聞いていたがそれはまさに「噂」だった。
こんなへんぴな場所でも応援をしてくれる人は沢山いた。
とてもありがたい反面、プレッシャーでもあった。
そしてこの頃私は、「誰か俺を止めてくれ〜」
という言葉を言いたくなるほど苦しかった。
既に棒のようになった足が悲鳴を上げていた。
事実JRの高架下をくぐる時に左太ももがつりはじめた。
その時は何とか太ももをさすりながら、
とにかく前へ前へという思いから太ももを押さえながら走った。
そのまま大通りに入ると太ももは
マッサージでは治らないほどに重症になっていた。
しかしそこは既に札幌市内の大通りである。
とても歩いたり止まったり出来る状況ではない。
とにかく私は太ももを叩きながらつねりながら前へ進み、
40キロの関門に近づいていた。
そんな40キロの最終関門を前にもの凄い声援が聞こえた。
「あの声は…」
昨年の中間地点で一際響く声援を送ってくれたKさんだ。
彼女は以前出場した駅伝の時に一緒だったトライアスリート。
私が「Kさ〜ん」と声を出すと、
「ナイスラ〜ン!」
私が誰なのか分かったかどうかは定かじゃないが、
最終関門に向けて力になったことは確かだった。
北海道マラソンの最終関門(40km)
それは「ここを時間内に通過すれば完走扱いとする」という地点だ。
関門時間は3時間48分。
私は太ももがつっていたため何度も
太ももを叩き、抑えつけ遂にここまでやってきた。
40キロの通過タイムは、3時間46分14秒。
私は残り106秒で命拾いをした。
ここを通過出来ると出来ないじゃ雲泥の差だ。
だって、ここさえ通過すれば
後はゴールまで歩いても完走扱いとなるからだ。
周りのランナーが明らかに歩きはじめた時、
私の太ももは両方がつっていた。
完走できるからというわけではないが、
急に今までの疲労が爆発してきた。
しかし、私の頭の中には『サブフォー』という言葉しかなかった。
サブフォーとはフルマラソンを4時間以内ではしること。
40キロを通過しても4時間を切らなくては道マラに参加した意味がない。
私はとにかく前に進んだ。
つってしまった両方の太ももを叩きながら…
そうはいっても両方の太ももがつってまともに走れるはずがない。
でも何とか4時間以内にゴールはしたい。
そんな思いから気がつくと私は自分の太ももをバンバンと叩いていた。
そうでもしないとサブフォーは達成できないと体が感じていたからだ。
周りのランナーが歩いている中、
私は一人太ももを叩くという奇妙なことをしながら中島公園に向かった。
何回も、何十回も太ももを叩きながら走っていると、
沿道で応援している人がクールダウンのスプレーを貸してくれた。
「どうぞこれを使って」
私の痛々しい姿を見ていられなかったのだろう。
でも私の太ももは良くなることはなくひたすら太ももを叩き、
マッサージしながら走っているうちに中島公園が見えた。
時計を見ると3時間59分になっていた。
「もう4時間は切れないのか…」
そう思う悔しさで私は涙が出そうになった。
しかしそのウルウルは完走できる喜びでもあったのかもしれない。
どちらでもいいが、とにかく私は中島公園に入った。
両側には「もう少しだ」「すぐそこだ」という
声援と拍手で歓喜に沸いていた。
そんな中を私は4年ぶりに走っている。
確実に、そして痛々しく。
そして私は北海道マラソンのゴールラインを越えた。
ゴールタイムは、4時間3分38秒
<完>
昨年、同じ場所では熱中症から意識がもうろうとし、
一条大橋のちょっとした登りが登山のように思えていたからだ。
「何故か今年は冷静なんですけど…」
そう思いながらもとにかく前に進むしかなかった。
沿道には人の波が切れず、
とてもこんなところでリタイア出来る状況ではない。
そんなことを考える余裕もなく気がつくと20キロ地点を通過した。
20キロの通過タイムは、1時間47分28秒。
この辺は私が昔住んでいた場所でもあるので、
なんとなく若き日の苦労した生活臭が漂う。
そんな感慨にふけっている頃、順調に中間点を通過。
中間点の通過タイムは、1時間53分25秒。
この時点で約9分の貯金が出来た。
私はさらに首をかしげながらも新川通から琴似栄町通へ入った。
この時点で既に男子のトップ選手とはすれ違っていたが、
女子の先頭を追う中継車が見えた。
事前の下馬評では新谷仁美選手が突っ走るのでは…
という雰囲気だったが、現れたのは小学生みたいな小さい女の子(失礼)
「この子一体何歳なの?」と聞きたくなるほどロリータっぽい選手だった。
そんなプチニュースも過ぎ去り、私は25キロまで来てしまった。
25キロの通過タイムは、2時間14分21秒。
「いったいいつどこで俺の足は壊れるんだ?」
という答えようのないボケツッコミを一人で言いながらも
私の足は衰えを知らなかった。
予定外に25キロ時点も通過したことで、
私のスタミナは切れそうになっていた。
2時間以上も水分とサプリだけで走っていれば
誰でもスタミナ切れになるはずだ。
そう思いながらも一瞬発寒に入る追分通りの橋を戻る時
「おーい、プチアス!」
と言う聞いたことのある声がした。
私がよく飲みにいくお店の常連客のKさんだった。
そしてKさんは全く関係ないチームの私にバナナを恵んでくれた。
明らかにスタミナ切れ寸前の私にとってこのバナナ半分は
砂漠のオアシスに思えた。
後から思うとこのバナナは最後まで走るスタミナ源だったのかもしれない。
そんな最後のスタミナ源をもらった私はついに30キロを通過した。
30キロの通過タイムは、2時間42分35秒。
昨年のこの大会で私は30キロを過ぎた途端、
太ももがつってしまい足が止まった。
しかし今年はまだ足はつらなかったものの意識はもうろうとしていた。
そんな時、最後の給水を終えた
ボランティアの学生達が、ハイタッチをしてくれた。
最初は数人のことだったが、私が気分良くタッチしていたからか
その後ろに並ぶみんながハイタッチをしていた。
人数にして50人くらいは居ただろうか。
このハイタッチにもかなりの勇気をもらったが、
実はこの頃、意識がもうろうとし始めていた。
35キロの通過タイムは、3時間12分23秒。
35キロの通過タイムを見ると既にペースは落ち始めていた。
実を言うとこの辺りの記憶が定かではない。
熱中症の症状からか意識障害も出始めていたのだろうか。
35キロを過ぎると沿道の人並みが途切れてくる、
と言う噂を聞いていたがそれはまさに「噂」だった。
こんなへんぴな場所でも応援をしてくれる人は沢山いた。
とてもありがたい反面、プレッシャーでもあった。
そしてこの頃私は、「誰か俺を止めてくれ〜」
という言葉を言いたくなるほど苦しかった。
既に棒のようになった足が悲鳴を上げていた。
事実JRの高架下をくぐる時に左太ももがつりはじめた。
その時は何とか太ももをさすりながら、
とにかく前へ前へという思いから太ももを押さえながら走った。
そのまま大通りに入ると太ももは
マッサージでは治らないほどに重症になっていた。
しかしそこは既に札幌市内の大通りである。
とても歩いたり止まったり出来る状況ではない。
とにかく私は太ももを叩きながらつねりながら前へ進み、
40キロの関門に近づいていた。
そんな40キロの最終関門を前にもの凄い声援が聞こえた。
「あの声は…」
昨年の中間地点で一際響く声援を送ってくれたKさんだ。
彼女は以前出場した駅伝の時に一緒だったトライアスリート。
私が「Kさ〜ん」と声を出すと、
「ナイスラ〜ン!」
私が誰なのか分かったかどうかは定かじゃないが、
最終関門に向けて力になったことは確かだった。
北海道マラソンの最終関門(40km)
それは「ここを時間内に通過すれば完走扱いとする」という地点だ。
関門時間は3時間48分。
私は太ももがつっていたため何度も
太ももを叩き、抑えつけ遂にここまでやってきた。
40キロの通過タイムは、3時間46分14秒。
私は残り106秒で命拾いをした。
ここを通過出来ると出来ないじゃ雲泥の差だ。
だって、ここさえ通過すれば
後はゴールまで歩いても完走扱いとなるからだ。
周りのランナーが明らかに歩きはじめた時、
私の太ももは両方がつっていた。
完走できるからというわけではないが、
急に今までの疲労が爆発してきた。
しかし、私の頭の中には『サブフォー』という言葉しかなかった。
サブフォーとはフルマラソンを4時間以内ではしること。
40キロを通過しても4時間を切らなくては道マラに参加した意味がない。
私はとにかく前に進んだ。
つってしまった両方の太ももを叩きながら…
そうはいっても両方の太ももがつってまともに走れるはずがない。
でも何とか4時間以内にゴールはしたい。
そんな思いから気がつくと私は自分の太ももをバンバンと叩いていた。
そうでもしないとサブフォーは達成できないと体が感じていたからだ。
周りのランナーが歩いている中、
私は一人太ももを叩くという奇妙なことをしながら中島公園に向かった。
何回も、何十回も太ももを叩きながら走っていると、
沿道で応援している人がクールダウンのスプレーを貸してくれた。
「どうぞこれを使って」
私の痛々しい姿を見ていられなかったのだろう。
でも私の太ももは良くなることはなくひたすら太ももを叩き、
マッサージしながら走っているうちに中島公園が見えた。
時計を見ると3時間59分になっていた。
「もう4時間は切れないのか…」
そう思う悔しさで私は涙が出そうになった。
しかしそのウルウルは完走できる喜びでもあったのかもしれない。
どちらでもいいが、とにかく私は中島公園に入った。
両側には「もう少しだ」「すぐそこだ」という
声援と拍手で歓喜に沸いていた。
そんな中を私は4年ぶりに走っている。
確実に、そして痛々しく。
そして私は北海道マラソンのゴールラインを越えた。
ゴールタイムは、4時間3分38秒
<完>
2008-09-03(Wed)
再びあの感動を〜2008北海道マラソンレポート前半〜
4年前、私は初挑戦の北海道マラソンを完走した 。
しかしその年は大会至上最低の気温の中でのレースで
事実完走率も高かったそうだ。
その後、トライアスロンにはまってからは
北海道マラソンに対する情熱は失われ、
2年間エントリーさえしなかった。
そして久々に北海道マラソンへエントリーした昨年。
私は30キロ関門をクリアするためもうダッシュをした影響で
31.5キロ地点で太ももがつってしまいそのまま終わった 。
その後の一年。
友人・知人も私がマラソンをやっていることを知っていて
「北海道マラソンは出たの?」と聞かれ
「31.5キロで止められた」と言うと
「なんだ完走できなかったの?」
悪気があって言っている訳じゃないのはわかるが、
この一年私は友人・知人に言い訳ばかりしていた。
道産子ランナーが一般市民に誇れる唯一のレースが
北海道マラソンなのにそれさえ完走できていない現実。
それなりに自信を持って望んだ昨年の大会で
タイムオーバーとなったことがトラウマになっていた。
マラソン以外に自慢できる趣味の一つである
トライアスロンをやろうにも左腕のリハビリが上手くいかず
いまだにクロールが泳げないため大会にも出られない 。
正直言って練習は全然出来ていなかった。
仕事の忙しさとモチベーションの低下から、
練習量は例年の3分の一くらい。
月に50キロくらいしか走れないことが続き、
最も練習が必要な4〜7月の4ヶ月間の走行距離は
合計でも270キロ、一月で走ってもおかしくない距離だ。
大会にエントリーはしたが、
「今年も無理だな」と心の中でずっと思っていた。
そんな中、8月31日はやってきた。
朝はそんなに暑いとは思わなかったが、
真駒内に向かうにつれてジリジリとした暑さがまとわり付く。
競技場に付くといつものように水分を取って
軽く柔軟をしながらユニフォームに着替え荷物を預ける。
手荷物がなくなってしまうと、後はスタート地点に行くしかない。
しかし今年ばかりは逃げ出しそうな気持ちだった。
突然、強力な台風が来て中止になってくれないかな…
なんてバカなことも考えた。
そんなことを考えながらスタート地点に着く。
相変わらず人が多い。
こんな人ごみの中でスタートするのはうんざりと思ったが、
何でもマイナスに考えてしまうほど自信が無かった。
しかも今年のゼッケンは4000番台だったので
最初から一番後ろでスタートしようと決めていた。
一般スタート前でのおじさんのアナウンスはちょっとウケたが、
私の気持ちが晴れるほどには至らなかった。
そんな暗い気持ちのまま突然号砲は鳴った。
思ったとおりスタート直後の人ごみはピクリともしない。
ダラダラ歩いたと思ったら止まり、
軽くジョギングペースになったかと思ったらまた止まり。
結局スタートラインを超えたのはちょうど3分後。
「いきなり3分のロスか…」
そう思いながらも私はゆっくりスタートした。
去年の道マラでの失敗は序盤での焦りと
熱中症・脱水症状によるスタミナ切れだった。
だから今年はとにかく5キロまでの制限時間を
しっかり使おうと決めていた。
去年はキロ5分ペースで5キロを通過したが、
今年は極力飛ばさないように、そして
熱中症対策として人ごみの中から離れて走った。
去年は序盤の人ごみの中に挟まれて走っていた時、
もの凄い『暑さ』を感じた。
人に囲まれるだけで体感気温が3度くらい
上がったような感じがしていたのでその後熱中症になった。
と自分なりに分析した結果、
今年は「風通し」のいいコースをキープした。
それでも暑いため、時折りランシャツをまくり
体温が上昇するのを極力防いだ。
5キロの通過タイムは、29分34秒(26:54)
予定より2分早いが、まずまずのタイム。
この作戦が良かったのか、昨年めまいと
吐き気を感じた10キロ前後も意外に冷静に走れた。
10キロの通過タイムは、56分34秒(26:40)
しかし、安心ばかりはしていられなかった。
その後、何故か私は計算間違いをした。
何を思ったか、私は15キロの関門時間を間違えたのだ。
1時間28分の制限時間を1時間23分と思いこみ、
12キロから15キロまでをキロ5分弱のペースで走ってしまった。
後で考えると周りの選手達がゆっくり走っていたし
冷静に考えれば良かったのだが、私は1人でパニくっていた。
そんな余計なスパートもあり15キロはらくらく通過。
ここで一気に6分の貯金が出来た。
15キロの通過タイムは、1時間21分52秒(25:18)
<後半へ続く>
しかしその年は大会至上最低の気温の中でのレースで
事実完走率も高かったそうだ。
その後、トライアスロンにはまってからは
北海道マラソンに対する情熱は失われ、
2年間エントリーさえしなかった。
そして久々に北海道マラソンへエントリーした昨年。
私は30キロ関門をクリアするためもうダッシュをした影響で
31.5キロ地点で太ももがつってしまいそのまま終わった 。
その後の一年。
友人・知人も私がマラソンをやっていることを知っていて
「北海道マラソンは出たの?」と聞かれ
「31.5キロで止められた」と言うと
「なんだ完走できなかったの?」
悪気があって言っている訳じゃないのはわかるが、
この一年私は友人・知人に言い訳ばかりしていた。
道産子ランナーが一般市民に誇れる唯一のレースが
北海道マラソンなのにそれさえ完走できていない現実。
それなりに自信を持って望んだ昨年の大会で
タイムオーバーとなったことがトラウマになっていた。
マラソン以外に自慢できる趣味の一つである
トライアスロンをやろうにも左腕のリハビリが上手くいかず
いまだにクロールが泳げないため大会にも出られない 。
正直言って練習は全然出来ていなかった。
仕事の忙しさとモチベーションの低下から、
練習量は例年の3分の一くらい。
月に50キロくらいしか走れないことが続き、
最も練習が必要な4〜7月の4ヶ月間の走行距離は
合計でも270キロ、一月で走ってもおかしくない距離だ。
大会にエントリーはしたが、
「今年も無理だな」と心の中でずっと思っていた。
そんな中、8月31日はやってきた。
朝はそんなに暑いとは思わなかったが、
真駒内に向かうにつれてジリジリとした暑さがまとわり付く。
競技場に付くといつものように水分を取って
軽く柔軟をしながらユニフォームに着替え荷物を預ける。
手荷物がなくなってしまうと、後はスタート地点に行くしかない。
しかし今年ばかりは逃げ出しそうな気持ちだった。
突然、強力な台風が来て中止になってくれないかな…
なんてバカなことも考えた。
そんなことを考えながらスタート地点に着く。
相変わらず人が多い。
こんな人ごみの中でスタートするのはうんざりと思ったが、
何でもマイナスに考えてしまうほど自信が無かった。
しかも今年のゼッケンは4000番台だったので
最初から一番後ろでスタートしようと決めていた。
一般スタート前でのおじさんのアナウンスはちょっとウケたが、
私の気持ちが晴れるほどには至らなかった。
そんな暗い気持ちのまま突然号砲は鳴った。
思ったとおりスタート直後の人ごみはピクリともしない。
ダラダラ歩いたと思ったら止まり、
軽くジョギングペースになったかと思ったらまた止まり。
結局スタートラインを超えたのはちょうど3分後。
「いきなり3分のロスか…」
そう思いながらも私はゆっくりスタートした。
去年の道マラでの失敗は序盤での焦りと
熱中症・脱水症状によるスタミナ切れだった。
だから今年はとにかく5キロまでの制限時間を
しっかり使おうと決めていた。
去年はキロ5分ペースで5キロを通過したが、
今年は極力飛ばさないように、そして
熱中症対策として人ごみの中から離れて走った。
去年は序盤の人ごみの中に挟まれて走っていた時、
もの凄い『暑さ』を感じた。
人に囲まれるだけで体感気温が3度くらい
上がったような感じがしていたのでその後熱中症になった。
と自分なりに分析した結果、
今年は「風通し」のいいコースをキープした。
それでも暑いため、時折りランシャツをまくり
体温が上昇するのを極力防いだ。
5キロの通過タイムは、29分34秒(26:54)
予定より2分早いが、まずまずのタイム。
この作戦が良かったのか、昨年めまいと
吐き気を感じた10キロ前後も意外に冷静に走れた。
10キロの通過タイムは、56分34秒(26:40)
しかし、安心ばかりはしていられなかった。
その後、何故か私は計算間違いをした。
何を思ったか、私は15キロの関門時間を間違えたのだ。
1時間28分の制限時間を1時間23分と思いこみ、
12キロから15キロまでをキロ5分弱のペースで走ってしまった。
後で考えると周りの選手達がゆっくり走っていたし
冷静に考えれば良かったのだが、私は1人でパニくっていた。
そんな余計なスパートもあり15キロはらくらく通過。
ここで一気に6分の貯金が出来た。
15キロの通過タイムは、1時間21分52秒(25:18)
<後半へ続く>
2008-09-01(Mon)
2008北海道マラソン速報
とりあえず何とか完走だけはしました。
速報ベースで4時間3分38秒。
まぁ4時間を切れなかったのでチームの仲間からは
「完走」と認められないかもしれませんが…
練習量が少ない中でも完走できたのは
ボランティアの方々はもちろん、
沿道で大声で応援してくれた方々のおかげです。
特に今年は皆さんに感謝したいです。




